HISTORY
築地の前身は、日本橋の魚市場。そもそもの誕生は、江戸幕府が開かれたとき、家康が大阪の森孫右衛門一族に江戸での漁業権を与え、魚を献上させたことに始まる。その後、献上魚の残りを日本橋で販売することが許可され、これが日本橋魚河岸のはじまり。江戸の人口増加に伴い、各地から魚商が集まり、魚市場として拡大していった。
もちろん、当時はターレットではなく『東山の金さん』 で馴染みの天秤棒。軽トラではなく、板舟。
明治にはいると、魚の献上の必要がなくなり、代わりに問屋や仲買業者は、免許料と税金を納め、自由競争の時代に入る。
取り扱い量の増加に伴い、衛生面、取引の混乱など、問題が生じ移転論が巻き起こるが、そのまま昭和10年まで日本橋にあった。大正12年、震災で被害を受け、日本橋魚河岸は全焼。次の場所として築地にある海軍技術研究所跡地が上がった。
数々の調査を経て、 昭和10年に現在地へ移転。「東京都中央卸売市場築地市場」とする。
現在輸送の中心はトラックだが、かつては船や鉄道だった。隅田川に面しているのも船運のため。また、建物の南角が扇型なのは、貨物列車をここで大曲させた名残り。
施設の老朽化も進み、取り扱い量が増え、平成24年には、江東区の豊洲へ移される予定。
|