2005.11.30.UP
       
水産物の取引高は世界一!食のワンダーランド、築地体験レポートです。
威勢のいいかけ声が飛び交い活気漲る市場には、時代にとらわれないプロ魂に溢れています。('05〜06年) 
 
築地市場とは、東京都が管理する中央卸売市場(場内)とこれに隣接する小売商区(場外)の総称。場内だけで23万平米。東京ドーム6ヶ分の広さです。 ここで毎朝、2140トンもの水産物がさばかれ、17億5千万円(H17年度現在)ものお金が動くというから、規模こそ、フランスのパリ・ランジス中央市場(220万平米)の10分の1と、遙かに劣るものの、取引高は世界一! 
築地を世界一たらしめるのは、なんといってもマグロではないでしょうか。
中には1本1千万円近い値で競り落とされるものもあるのだそうです。
築地には世界中のマグロが集まり、世界のマグロの半分を消費しているのが日本人だといいます。しかしながら、世界中でわき起こる日本食ブーム、寿司ブーム。欧米人もまた、鯛にイワシ、鯛、イワシ、エビ以上に、血の肉を持つマグロを好むのでありました。その人気は、欧米人がリゾート&グルメに出掛けるアジア各地へと波紋を拡げ、果ては、刺身は食べないと言っていた中国人までもがこぞってトロだ、トロだ!と言い出したから、世界の鮪消費量が急上昇!!大変なことになってきました。
実は、日本人もトロを食べ始めたのは、船や保存技術が格段に進化した近頃のことなんだけど・・・。
鮪は血の魚。傷むのがとても早い。その上、船の甲板に置くと自らの重みで下半分がつぶれてしまったといいます。そんな魚だから、昔は、薬になった鮪の肝臓だけを持ち帰ったり、後は畑の肥やしになったそうです。
 
鮪談はつきませんが、 まずは築地市場の大場所、マグロの競りの様子から。
2005年12月。築地魚市場見学ツアーに参加しました。この日の案内人は、このツアーを主催する マグロ仲卸の大野水産株式会社3代目、大野正さん。
 
※ このツアーが人気を博し、届けのない類似ツアーが紛れるようになってしまったことから混乱が指摘され、全てのセリ見学ツアーは2006年で打ち切りになってしまったそうです。現在は東京都管理課の許可制でのみ取材等の見学が可能。

5:00AM。
辺りがまだ薄暗い中、懐中電灯と手鉤を持った仲卸人が既に競り場に集まり、ズラリと並べられたマグロの品定めを始めています。

競りは、生のマグロと、冷凍マグロが別々に取引されます。マイナス60度で冷凍されたカチンコチンの冷凍マグロは、まるで大きな砲弾のよう。金属を思わせるような硬質感、凍てつく冷気、そんな中で、白い息を吐きながら、熱い男達が入念にマグロをチェックしています。

 


尾っぽ近くの皮が捲ってあります。
仲卸人たちは、ここから指で身を少し取り、懐中電灯の光を当てながら、親指と人差し指で練るようにしてマグロの脂肪をチェックします。熟練を重ねた人間の手の感覚というのは、機械が及ばない域までに達することは、伝統工芸等の物づくり然り、こんなところにもあったのですね。
 
5:30AM。競り人が鐘をならし、競りが始まりました。
素人には全く聞き取れない独特の言い回しと仕草が行き交い、あれよアレよという間に、目の前のマグロが次々と競り落とされていきます。
 
そもそも市場の競りは、価格の安定性と公平性を保つためのシステム。従って、競りに参加出来るのは登録業者だけ。競り人は、全ての仲卸業者の顔とその店名を記憶していて、以前はその顔と暗号のようなサインを見て即座に判断し、魚をさばいていったのだそうです。しかし、このようなやり方では不正が行われていても第三者には判断がつかないということで、東京都が細かく管理するようになりました。現在、競りに参加する業者には番号札を付けた帽子が支給され、帽子の番号と競り値とで競ることになったのだそうです。故にこの帽子は、いわばパスポートのようなモノ。紛失すると、警察に届け出て始末書を書かなければならないそうなんです。
ともあれ、都側としては、番号制に変わって合理性も増すであろうとの思惑もあったのですが、なんと以前より競りのスピードが落ちてしまったというのです。番号を認識するより顔の方が早いなんて。視覚認知力を鍛えればここまでになるのか・・・。
「こっちは鮪に命掛けてんだから!」という威勢良さは、口先だけではありません。
ここで働く人たちには、デジタル化された生活にどっぷりと浸かっている現代人がすっかり忘れてしまった身体能力を兼ね備えているかのようです。
「おうよ、毎日体張ってっからよ」
ハイ。参りましたー)))。
 
 
  競り落とされたマグロは、大八車にのせられ仲卸人に引き取られ、
解体されていきます。
 
 
  競り場の奥には、冷凍マグロの共同解体場があり、電動のこぎりで
切り刻まれていきます。
 
  生のまぐろは、2-3人掛かりで "刀"でおろされ、買い出し人に渡っていきます。
一角に、こんなショーケースが。史上最高値2千2百万円の値がついたこともあるという大間の鮪は一段と誇らしげです。
競り後から午前8時頃までは、プロの方々の買い付けで市場は大忙し。大八車やターレット(一人乗りの構内運搬車)に引かれないように歩くだけでも大変です。(実際ここでは人より大八とターレが優先道路なんです!)築地ツアーでは仲卸売り場はそこそこに、波除け神社前でネギトロのお土産をもらって解散となりました。
この築地ツアー参加以来、すっかり道が付いて、上京の度に築地に足を運んでいます。
一般人なら9時以降が落ち着いて買い物できる時間帯。それまでは・・・・
 
 
もちろん築地は鮪だけではありません。全国からいろいろな魚介が集まってきます。
写真(下)は、鯛を専門に扱う仲卸の売り場です。
魚は暴れたり苦しんだりしないように一気に締めるのが肝要なのだそうで、まず手鉤で鯛の目の上あたりに一撃を加え、脳死状態にします。そしてエラから包丁を差し入れ、中骨の中に細長ーい針金(神経棒という)を差し込んで髄液を出し、血液の通路を作り血抜きし易くすると同時に神経を麻痺させます。こうすることにより、死後硬直が起こる時間がかなり先延ばしにできるのです。写真(下)は、 丁度中骨に神経棒を入れているところ。
穴子を卸す手さばき・・・見事です!
1尾を10秒足らずでどんどん開いていきます。
 
暖海の深場で捕れる
「ヤガラ」。
お魚カルタにも「"ヤガラのくちばし何故長い"----お吸い物にする」とあります。小振りなものは汁の実に、写真のような大型魚は高級魚として刺身でも賞味されるそうです。
 
  貝類専門の仲卸では、大きなタイラギが。
昔は東京湾でも捕れた貝らしいですが・・・・。
 
  落合シェフ発見!!
よく10時頃、濱長さんのところでお見かけします。
こうして自ら仕入れに関わり、素材を見極める力を養っておられるお姿、感服つかまつりましたー。
 
 
 
ここは珍味と干物類のお店。裸電球がなんともいえない雰囲気。
 

HISTORY
築地の前身は、日本橋の魚市場。そもそもの誕生は、江戸幕府が開かれたとき、家康が大阪の森孫右衛門一族に江戸での漁業権を与え、魚を献上させたことに始まる。その後、献上魚の残りを日本橋で販売することが許可され、これが日本橋魚河岸のはじまり。江戸の人口増加に伴い、各地から魚商が集まり、魚市場として拡大していった。
もちろん、当時はターレットではなく『東山の金さん』 で馴染みの天秤棒。軽トラではなく、板舟。

明治にはいると、魚の献上の必要がなくなり、代わりに問屋や仲買業者は、免許料と税金を納め、自由競争の時代に入る。
取り扱い量の増加に伴い、衛生面、取引の混乱など、問題が生じ移転論が巻き起こるが、そのまま昭和10年まで日本橋にあった。大正12年、震災で被害を受け、日本橋魚河岸は全焼。次の場所として築地にある海軍技術研究所跡地が上がった。
数々の調査を経て、 昭和10年に現在地へ移転。「東京都中央卸売市場築地市場」とする。
現在輸送の中心はトラックだが、かつては船や鉄道だった。隅田川に面しているのも船運のため。また、建物の南角が扇型なのは、貨物列車をここで大曲させた名残り。
施設の老朽化も進み、取り扱い量が増え、平成24年には、江東区の豊洲へ移される予定。

海苔屋、妻モノ屋、玉子屋、お茶屋、食器屋に塩屋、刃物屋、食料品店…。河岸横丁には、百数軒ものお店が軒を連ねています。
所狭しと商品を並べて(積んで?)あり、何か買い物をする際には、店主に尋ねざるを得ないのであります。
言葉を交わして買い物をする。一昔前にはごく当然のように思っていましたが、市場に来ると、昨今の暮らしが、一言も言葉を使うことなくなんでも出来てしまうことに、はっとするのでした。
お魚の処理をしてくれるお店では、調理法に合わせた処理をお願いすることもできるし、その際「○○と一緒に煮たら美味しいよ!」「残ったら、○○にするといいよ」「明後日まで美味しく食べられるよ」「今が旬だからね!」「○○で捕れたんだよ」とか、ちょっとしたエクストラ知識を授かれることも・・・。馴染みになると「たまにはこれもどう?」なんて、偏っている食材をさり気なく指摘してくれたりと、有難いのです。私は、こんなコミュニケーションこそが、食育の原点だと思っています。
 
 
 
築地では、魚の包装に油袋が多用されていますが、この袋も魚河岸横丁で買えます。
1束100枚で、サイズにより840〜2300円。
底のマチが大きくあらゆる形のに対応できるのと、燃えるゴミとして処理できるし、ビニール袋代わりに唐揚げやパンを入れるのにも良さそう…。ところが店主から「この油紙には工業用油が使われているので、食べ物を直接入れるのは避けた方がよい」と注意をいただきました。
 
  ↑こちらは市場カゴ。
この幅が・・・いい!おどろくほど入るし、通気性もよい。まあワタクシの場合、コレを持って飛行機に乗ることになるので、ちょっと躊躇してしまいますが・・(笑)。
 
←スパイス専門店
ギャバンのスパイス、江戸七味、からし、ソース等々
 
  仲卸売り場での買い物が一段落したら、魚河岸横丁で腹ごしらえ。
7−9時頃は、場内で働く人たちの朝食タイムでもある。10時を過ぎると、一般客の
列ができはじめ・・・いつの間にか行列が。一番の人気は、やはりお寿司。最近は、中国人観光客がよく目に付くようになりました。
 
  「あんこう屋たかはし」の裏手で、あんこうを吊しておろしているところ。軒下のフックにアンコウのあごを引っかけ、あごの下と数カ所に切れ目をいれ、ズルーッと皮を剥ぐ。
腹を割いて内蔵を取り出し、エラを外して身を削ぎ・・・あれよあれよという間にあんこうの7つ道具(身と頭、ヒレ、胃袋、肝臓、皮、卵巣、エラ)は首尾良く解体されてしまいました。キモが味噌に溶け込んだコラーゲンいっぱいのアンコウ煮、是非ご賞味あれ!
 
!!!  
発砲スチロール処理場。コレ、1日の量です。愕然とします。
私達の「食」がこれらの上に成り立っているかと思うと、なんだか複雑です。これ以上にダンボールのゴミが出る訳です。
(ちなみに、発砲スチロールについては、適切に処理され、リサイクルされるとのこと。)
 
築地4丁目から6丁目、波除通りと晴海通りの間に広がる区域に、鮮魚から野菜、肉、加工食品、調理器具その他を売る店や飲食店が並ぶ地域がひろがっており、「場外」と呼ばれています。
食材の店は殆どが朝6時に開店し、15時頃まで営業。 飲食店も早めの開店時間で営業しています。
日本各地の漬け物が揃う店。量り売りも嬉しい!漬け物(店頭)や年期の入った「エレベーター」。漬け物は、地下にまだ沢山保存してあるのだそうです。
 
 
縁日のヨーヨー!? いえいえ、これはなんとお豆腐なんです。玉羊羹みたく、ようじでチッと突き刺すとつるりと剥けて丸い絹ごし豆腐が出てきます。ユニークなだけでなく、持ち歩いても崩れないし、実はコレ、なかなかの優れものかも!  
 
  鰹ぶしも「血合い抜き」「腹ぶし」
「背ぶし」と、いろいろ。
 
 
 11月は・・・葉生姜、しめじ(お隣にはトルコ産の松茸が・・)。一盛り1000円也。
←山形産の行者にんにく。
場外のツマ屋、八百屋には、西日本ではあまりお目にかかれない東北の山菜や、日本各地の季節もの、海外からの野菜等も・・・。旬が長い感じがします。
12月の築地場外。八百屋さんは、ちょろぎ、百合根、三つ葉(こんな真っ直ぐなきれいな水菜!!料亭行きかな)、太牛蒡、田芹・・・・国産のフローレンスフェンネルも・・・。
 
 
 3-4月には、カタクリ、うるい(石川県阿武隈産)、のびる、明日葉、ハマボウフウ等々。
 
 
ちょうど漬け物屋には、うるいの漬け物が・・・ちょっとしゃりしゃりした食感で、これは美味しい!
 
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