2005.11.30.UP
       
1997年4月、アフリカ大陸のベルベル&イスラム文化圏、いずれも初めてのモロッコを訪れたときの市場レポートです。
この旅では、マラケシュ在住で、家業(繊維貿易業)の傍ら、通訳やコーディネーターをなさっておられるアブデルフェッタ(文中「フェッタさん」)さんご夫妻に通訳&ガイドをお世話頂きました。
 
スーク(Souk)とは、市場のこと。マラケシュの旧市街内部は、迷路のような街で、中央のジャナ・エル・フナ広場から複数の道が広がりっています。周辺の路地には商店がひしめき、食料・生活品から貴金属まであらゆるものが売られていて、交易の中継地として栄えた街であることを彷彿とさせます。
 
 
食料品が集まるスークでは、肉屋は、鶏肉、羊、牛、内臓など、売り場が特化されていて、鶏肉などは、生きたニワトリが量り売りという新鮮(?)ぶり。(この辺の人は、イスラム教なので、豚肉はありませんね。)
 
ピクルスもいろいろ。面白いのは、レモンの塩漬け「ムッスィーヤ」というもの。皮に切り込みを入れて丸ごと瓶詰めになって売っています。「レモンといえば砂糖漬けだろう!?」と思いがちですが、コレ、こちらの人にとっては、いわば梅干しのようなもの。日本にイワシの梅干し煮があるように、モロッコでは塩漬けレモンを肉の煮込み料理などに使います。皮の爽やかな香りが肉料理の脂肪分をすっきりさせてくれる感じですし、レモンのクエン酸が消化を助けてくれます(レシピ「タジン」参照」)。
それから、オリーブの漬け物。こちらもいろいろな種類のものが売られています。
オリーブのピクルスとムッスィーヤ(手前の棚)
 
そして、肉のあるところに、スパイスあり。全て量り売りですが、なんともダイナミック店構えです。
<スパイス売り場>
ミントもこんなに…(!)。最もポピュラーな飲み物はやっぱりミントティーです。
<ミントのスタンド>
 
  下級の中国茶とミントの葉をティーポットに入れて、熱湯を注ぎます。どうです!?この、惜しみない使い方。
もともとミントは、気分をシャキッとさせるときに向くハーブ。加えてこちらのミントティーは中国茶葉もたっぷり使っているので、けっこうハイカフェインな飲み物なのでした。(夜飲むと、眠れなくなることがあります)
 
その他、「パティスリー」とフランス語の看板を掲げたお菓子屋さん。ナッツを入れた焼き菓子バクラワなど、点心を作る中国人もびっくり(!)、様々な形のお菓子が並びます。
食べ物屋が続くかとおもえば、こんなものも…。
ドライハーブやスパイスと一緒に麻袋にはいったこの茶筅ようなものは「ブシュニハ」といって、爪楊枝としてつかわれるもの。植物の花の部分を乾燥させてあるのだそうです。
 
「ゲゲっ。これ何!?」と、一瞬怯みましたが、これ、廃油の石けん。原料は種まで絞った下級なオリーブ油から出来ているので、こんな色なのでしょうか。
 
ベルベル人の伝統料理、タジンの土鍋(これもタジンといいます)も売られていました。土器は、土のせいもあるのかもしれませんが、焼くときの窯の温度が低いため、ちょっと脆い。手書きで陶器のものよりプリントの柄の磁器の方が、数倍も高価な値段が付いているのも、生活用具としての視点からすると、ある意味妥当なのかも。でも、柄の素晴らしいモノは、骨董扱いで、こちらでも高価な値がついています。なにせ紛いモノが多いので、私が視線をやる先々で、フェッタさんが「それは、ホンモノ」「あれは、ダメ」と鑑定の目を光らせてくれます(笑)。店主の言い値で買うことはあり得ないほど、些細なモノでも全て交渉で値段が決まるのです。これでは日々の買物はタ・イ・ヘ・ンだ…。押しの強い商売人に圧倒され、マラケシュではすっかり購買意欲をそがれてしまいました。
実は、この旅では、モロッコ入りする飛行機への乗り換え時、ロストバゲッジにあい、マラケシュ滞在の2日目まで、身の回りのものが無い状態でした。「これも神の思し召し(?)」と、衣類やスキンケア製品、リンス(ホテルには、シャンプーしか備えてありませんでした…一応四つ星だったんですけどxxx)など、モロッコ人流のものを現地調達しようと試みたが、あの、アラブの装い、身近で見ると生地は化繊でテロテロ。一角でなんとか現代風のシャツを見つけて一枚購入。下着は、あきらめて毎日ホテルのバスルームで洗ってドライヤーで乾かたものをまたすぐは履きました(涙)。スークで、リンスだといって出してくれたのは、これ(写真)。「ガスール」という、乾いた泥のようなもの。
こんなモノで髪を洗ったら、ギシギシ大変そう…。
マラケシュのスークを訪れた翌日、日帰りでマラケシュから西へ約300キロ、大西洋側のエッサウィラを訪れました。
港町エッサウィラは、白い城壁、広がる空間、青い海。マラケシュよりずっと小綺麗で落ち着いた佇まいです。商店街を歩いても、どこか人々がゆったりとしている感じで、しつこくすり寄ってくる行商人にはほとんど出会いませんでした。
フェッタさんは、町に着くとまず最初に「ちょっと"昼食"をチェックしましょう」と、漁船が着いたばかりの港へ車を回しました。ここに揚がる魚介が、レストランの食材になる為、仕入れからチェックしようということのようです。
 
  「今日は、コイワシが少ないなあ…」と、やたらと鮫ばかりが並んでいる競り場を眺めながら、少々不満気ですが、ワタシは、漁船の脇に並べられた太刀魚やカニに大興奮。商売を手伝う子供達と一緒に魚を狙うカモメたちを追い払いながら、水揚げされた魚を見てあるきました。
マラケシュで売られている魚も、この当たりから入ってくるようです。
モロッコといえば、その後ろに広大なサハラ砂漠が広がっていることもあって、乾燥地をイメージしていましたが、マラケシュあたりにはまだそこそこ緑もあります。土壌は、褐色の粘土質。私がウーリカ谷を訪れた前日は、滅多にない夕立で大雨が振り、水はけの悪い土地はたちまち浸水騒ぎになっていました。日干し煉瓦の住民は大人から子供まで、羊飼いの仕事もそこそこに、みんな裸足で泥と格闘しています。
両脇に大きなカゴを括り付けられたロバと人が、市場へとむかう中、車もロバの歩みに合わせて徐行です。この辺りに来ると少し周囲から家畜や香辛料、何かを燻したようなにおいが漂ってきます。
 
サボテンの垣根
〜サボテンは秋には実を付け、果物として食べられる〜
そんな光景を横目に、車は遠くアトラスを仰ぎ、広大な土地にひろがる一本道を走ります。少し山手に差し掛かると、サボテンの垣根(畑?)がつづき、転々と集落が見え始めました。
集落を通り過ぎると、ウーリカ川がありました。市場は広い河原のすぐ近くにある広場に立っていました。
川といっても、広ぉーい河原の真ん中をちょろちょろと小川が流れているといった具合。これでも昨夜の雨で、多少水量が増している方だそうです。
この河原が、市場に来る人たちの駐車場…いや、駐ロバ場。
 
私たちが到着したとき、一体どこから出てきたの?というほど、市場は既に沢山の人でにぎわっていました。地べたに売り物を広げ、集団ピクニックのようにも見えますが、これ、一応お商売。無造作に広げているようでも、ちゃんとがまっすぐな通路を作って並んでいるのです。奥に進むと、屋台ブースや、コンクリート造りの鮮魚、精肉売り場が…。人参、タマネギ、ジャガイモ、トマト、インゲン、ズッキーニ…野菜の種類は、特に珍しい食材があるわけではないですが、皆小ぶりで取れたて無農薬栽培です。
 
こちらは、山羊の皮で作った袋。この中に山羊のミルクを入れてヨーグルトを作るのに使うのだそうです。(このおじさん、最初は酔っぱらいかと思いましたが、みんなムスリムですからそれはあり得ませんね。)
岩塩の量り売り。ミネラル豊富な岩塩は、海水から作る塩よりも舌にくるしょっぱさがマイルドで、色も少しピンクがかっています。
 
 
実の選別もなく、種まで一緒に圧搾されたオリーブオイルは黒っぽく濁っています。我々が口にしているオリーブオイルは、果肉のみで作られた良質のもの。中国茶や紅茶の茶葉然り、良質なモノはみんな商品として出荷され、オリーブ生産農家で働く人々の口には入らないのです。
隣は、山羊のミルクからできたバター。天秤がなんとも趣があります。
 
 
こちらは、タジン料理(モロッコや北アフリカの遊牧民の土鍋料理)等や、スフンジ(モロッコのドーナッツ)を作っている屋台。
タジンは、肉に野菜をのせてフタをし、野菜から出る水分だけで調理する蒸し焼き料理です。炭火でコトコト1〜2時間近くかけて出来たタジンは、肉と野菜の旨みが溢れて美味しい!鍋ごと出前しているのも面白いです。
 
こちらは精肉店…!??といっても、これどう見ても、賭・殺・場デス。
フレッシュを極めてみると、こういう光景になるのでしょうか(??)。地べたに転がる羊の頭、漂う臭いに、顔をしかめながら、ここは早足で通り過ぎるとしよう。こういうのを見たすぐ後でも羊肉がバーベキューにしてあったりするとすぐ「美味しそう!」と思えてしまう自分に、いささかあきれながらも「私達は、生き物の命を頂いて生かされているのだなあ〜」と、しみじみ思うのでした。貴重な羊は、捨てるところがないほどあらゆる部位を料理して食べられるのです。
 
 
羊がウロウロしている一角がありますが、この羊たちもまた売り物です。ちょうどこの時期はイスラム教の犠牲祭、メシュイ*の前で、一家で一頭、羊を殺す習わしなのだそうです。たとえ羊が買えないほど貧しい家庭でも家財道具を売ってまでもメシュイの為に羊を購入するくらい大切なお祭りなのだそうです。羊を見る人々の目も真剣です。
 
メシュイ:神が信者アブラハムの信仰心を試そうとして、普段祭壇に捧げる羊の代わりに息子のイサクを差し出すようにとお告げをする。お告げに従いアブラハムは、イサクを連れて山の祭壇まで向かう。そこでイサクを殺そうとしたとき、神はその信仰心を認め、代わりに羊を殺すことになったという話が旧約聖書にある。ここには、愛する者への溺愛を戒める神の教えが込められているとのこと。愛する者の代わりに、遊牧民族の先祖にとっては大変貴重だった家畜に犠牲になってもらうのが習わしになった。犠牲祭の日は太陰暦で決まり、この年は4月23日。
 
 
羊の中には、まだ幼い"ユキちゃん"(アルプスの少女ハイジ)も…。(あれは山羊でしたっけ)運命を知ってか知らずか、メェ〜メェ〜鳴く声は悲しげに響いていました。
 
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